|

田舎の市場や人がたくさん行き来する通りの一角で平たい筆に色とりどりの染料をつけて、虎と竹、蝶などを描いているのかと思って見ていればいつの間にか文字を作ってしまう老人たちや、あるいはテレビの特技自慢の時間に漫談をしながら、字なのか絵なのかを描く人を見た記憶があるでしょう。これが革筆(あるいは革筆書)というものとして現在はすでにその機能を果たして、消滅直前に来ている分野です。
民画(花鳥画・動物画・山水画・人物画・魚海画・本、文房具画・文字画など)は美術を好きな貧しい無名画家たちが成功を夢見て、もしくは生計を維持するため、実用目的にそって描いたものとして18世紀以降、朝鮮時代の庶民たちの情緒が溶け込んでいる絵画です。しかし、美術理論を根拠とした純粋絵画だけが芸術だとする正統画壇から、民画はその作品の芸術性の認定はおろか、価値の無い絵画として取り扱われただけでなく、民画画家たちは芸人や歌人たちのように技能人であるがためみすぼらしいと思われ、自然に文化の劣勢種として徐々に関心の外に押し出されるようになったのです。(民画についての学問的研究は専門書籍を参考にされますようお願いいたします。)
革筆は文字図の派生種です。文字図は孝悌忠信禮義廉恥や富貴多男、無病長寿、家和萬事成などの儒教的倫理を強調する文字や家訓などを書いて部屋の中や柱に貼り付けたり、屏風を作ったりしたのですが、これに民画画家たちは中国古典からその内容を選び取り、その内容を象徴する竹や鯉、または十長生などの絵を混ぜて描きました。 このような絵文字たちは意味が含まれた文字である漢字の字画の中にその意味を絵として描いてあり、これを美しく形象化したものとして完成するには多くの時間と細心の努力が必要でした。その後社会が発展し生活が忙しくなるにつれ、座った席で即座に自分の名前や家訓等を描いてもらうことを望む客たちがうまれたところ、お金を稼ぐために漢字でももっと速く描かなくてはならない必要がありました。そして、これによって現れたものが革筆画です。
18世紀に柳得恭(ユ・トゥクコン)が柳の枝を加工して書いた飛白書が伝わって来るところ、革筆はここでアイディアをとったものとして考えられますが飛白書とは完全に違うものです。色彩革筆は1930年代から見られ始め、6.25戦争後には避難民革筆画家たちがたくさん生まれて田舎の市場ごとに見られる程でしたが、1960年代中盤以降急激に減少しました。 今は仁寺洞(インサドン)や民族村で主に外国人観光客を相手にお金を稼ぐ革筆家たちがおり、時折市場を巡っている何人かがいるだけです。(最近は外国に移民する人々が生活の手段として英語のアルファベット26字を即席で身につけてポスターカラーで模造紙に絵を描く場合がありますが伝統革筆画とは距離が遠いものです。)
革筆家たちは同じ民画画家たちからも軽んじられ、画材をまとめてこの町あの町、市場を転々としながら風変わりな絵文字を描き家族を養ったつらい立場の絵文字職人たちでした。しかし、産業社会で仕事を得る機会が多くなって道に座る必要がなくなり印刷作品などが普遍化されると、家庭装飾品として革筆画の需要がそれ以上なくなり自然と革筆画は消滅の道をたどることになったのでした。
私は幼いときに見た革筆画の幻想的な美しさに魅せられ、30年余り前その時代の最高の革筆家として名声を得た故洪智成(ホン・チソン)先生から革筆技法を学び、その無尽蔵の多様性に魅了され今日に至り、現在は國內外 重要 行事場で革筆画を描いております。
私たちのホームページを訪問してくださって本当にありがとうございます。
革筆畵家 常剛 姜 完周
| 關聯記事及び動影像 | 作品紹介及び連絡先 | 初めに | 英語 | 韓國語 |
Copyright(c)
2000 by Wan-Joo Kang. All rights reserved.
|